私心なきこと ~日本クレーム協会を立ち上げた理由~

クレームが嫌で嫌で仕方ないと思っているあなたへ
私、谷厚志が日本クレーム対応協会を立ち上げた理由

~今、思い出しても胸が苦しくなる、クレームになった大失態~

日本クレーム対応協会の代表理事、怒りを笑いに変えるクレーム・コンサルタントの谷厚志です。
クレーム対応に関するホームページがたくさんあるなか、こちらにお越しいただき誠にありがとうございます!

ところで、「日本クレーム対応協会って?」「怒りを笑いにホントにできるの?」と思われるかもしれません。
ここでは私が何故、日本クレーム対応協会を立ち上げたのかという経緯についてお伝えしたいと思います。

かっての私は、学生時代から関西を拠点に活動するタレントでした。正確に言うと、話術で身を立てたいと思っている駆け出しの無名の大学生タレントでした。
当時はバブル時代ということもあり、景気も良く、幸いにもお仕事をデビューしてからスグにいただくことができました。

オファーがあった仕事としては、当時ブームだった「お見合い(ねるとん)パーティー」のMC、大手家電メーカーのショールームでの新商品の発売イベントのナビゲーターなどを担当していました。
イベント終了後、主催社の担当からは「良かったよ!またお願いします!」と褒められることも少なくありませんでしたので、その時は若かったこともあり、かなり自信過剰になって調子に乗っていたと思います。

そんなある時、大手新聞社のフリーペーパーの創刊パーティーの司会に起用していただいたことがありました。
会場もテレビ局の中にある大きなホールで開催されるということで、当時の私にとってはとても大きなお仕事でした。

事前にパーティーの司会台本を渡されていたのですが、自信過剰だった私は、台本より自分がアドリブで話すほうがよっぽど盛り上がると考えてしまい、台本にほとんど目を通さずにステージに上がりました。

順調に会場を盛り上げることができ、パーティーもいよいよエンディングを迎えようとしていました。
最後はメインスポンサーの社長が壇上にあがり、このイベントを締めくくるという流れだったのですが、台本を読んでいなかった私は、こともあろうことかスポンサー名を間違える、しかもライバル会社の社名でこの社長を紹介してしまうという大失態をおかしてしまったのです。

会場のざわつきで、間違ったことに気づいたのですが、時すでに遅し。舞台袖では私を起用してくれたイベントプロデューサーがスポンサーの社員の方に激怒されている姿を目にしました。
その後は、いまだにどうやってこのイベントを終え、どうやって家に帰ったのかさえも記憶がないほど、動揺していたことだけを覚えています。

当然ですが、このことで各方面の関係者からたくさんのクレームを受けました。そして、これがきっかけでその後は、仕事が一切来ることはなく、夢だった芸能活動をあきらめざる負えない事態になったという、苦い経験があります。

~クレームから逃げ続ける人生~

その後の私の人生は、大学卒業を経てサラリーマンに転身し、営業マンとして仕事をしていました。
営業の成績はそこそこよかったものの、以前の体験がトラウマになりクレームから逃げ続ける人生を送っていました。
逃げるならまだしも、自分がクレームや批判を受けないようにと、部下や周囲の人たちに対して常にダメ出しをするパワハラ上司、つまり自分自身がクレーマーというありさまだったと思います。

そんなある時、私は新しく就任した社長に呼び出しをされました。
そして社長からこう言い渡されました。
「谷君に必要なことだと思っているのですが、“私心なきこと”、つまり利他の精神で仕事ができるよう、
お客様サポートのコールセンターに移って、今度はそこで結果を出してみてください」
我が我がの精神、利己的で自分勝手な私の仕事ぶりを、すっかり見抜かれていたのです。
この人事異動は、私の人生を大きく変えることになります。

移った先の部署にはパートの女性陣も含め300人の部下が待ち構えていました。しかし、“私心なきこと”という社長からのメッセージなど無視し、相変わらずこれまでと同じ態度でいたことで、部下たちから総スカンを食らうことになります。
そこからは、転げ落ちるかのように異動とグループ会社への出向が続きました。

そして、最後にたどり着いたのが、お客様相談室の仕事でした。
クレームから逃げ回っていた人間が、最終的にクレーム対応の専門セクションに、しかもクレーム対応の責任者として異動させられたという、皮肉な結末でした。
当然のごとく、日々気分は最悪で、会社に行こうとすると吐き気がして熱が出てくると言った、半病人状態の時期もありました。

そんなある日、会社に行くのが嫌になり会社を休んでしまった時のことです。
ボーっとしながらインターネットを閲覧していると、引き寄せられたかのようにある詩が目に飛び込んできました。
小児がん病棟で限られた命を生きている子供たちがどうしても叶えたい夢、それは、「おとうさんとおかあさんとおいしいラーメンが食べたい」「家でゆっくりしたい」「大人になりたい」といったささやかな夢の数々でした。

最後の「あなたがくだらないと思っている今日は、昨日亡くなった人が、なんとしても生きたかった今日なのです」
というメッセージに、強く魂を揺さぶられたのです。

私は、後ろ向きだった自分を情けないと思い、日常の当たりまえの生活に日々感謝することの大切さに気づきました。
そして、今の自分に与えられたクレーム対応という仕事に向き合おうと決意したのです。

~お客様の怒りを笑顔に変える才能は誰もが持っている~

毎日クレームを受ける仕事だからこそ、落ち込んだり、恐怖心を持ったりしないためにどうすれば良いか?
考え続けました。
それを考え続けた結果、たどり着いた自分なりの答えは、「クレーム対応の仕事は自分の経験知が増えて、他人に話せるネタが増える」というものでした。

クレーム対応をしていると、人にはできない体験ができます。怒っているお客様を対応すると確かに辛いことがあるかもしれませんが、後で振り返ると面白い話、元タレントの私にとっては自分が他人に話せるネタが増えると解釈したのです。
(実際に他人に話せるネタは、私の著書と講演の内容にもなりました)
自分が置かれた状況の中で、仕事の意義を見つけることができたのです。

クレーム対応の仕事に真剣に向き合うようになってから気づいたことがあります。
それは、クレームを言うお客様は、「この問題を解決して欲しい」より、「この気持ちをわかって欲しい」から怒っているということでした。

すると、かつてのあのメッセージが鮮やかに心によみがえってきました。
“私心なきこと”
クレーム対応は、早く終わらせようとか、許してもらおうとするのではなく、話をしっかり聴いて共感する、お客様の“良き理解者になる”ことが一番大切だということに気づいたのです。

早く終わらせようと考えるのは自分達のことしか考えていない、我が我がの精神です。
クレーム対応に必要なのは、お客様の立場に立ってわかろうとする姿勢、まさに“私心なきこと”という利他の精神こそが、お客様の心を癒すということに確信をしたのです。

私心なきことの精神で、お客様と向き合うようになってからは、お客様から「ちゃんと話を聴いてくれてありがとう」「わかってくれてありがとう!次も使います。」と笑顔で言われるようになりました。
お客様と心が繋がった時には、クレーム対応なのに癒しにも似た最高の瞬間がおとずれ、最後は笑いながらお客様と対話ができるようにもなりました。

今では私の座右の銘であるこの“私心なきこと”という言葉。この素晴らしい言葉との出会いがその後のクレームの専門家としての活動を決意するきっかけになったのです。
そして、この日本クレーム対応協会を設立しようと考えた最大の理由、過去の私のようにクレームに対して必要以上に怖がり、クレームに対して真剣に向き合えないビジネスパーソンの心を変えたいと考えたからなのです。

“お客様の怒りを笑顔に変える才能は誰もが持っている”、私はそう思っています。
クレームへのストレスをなくし、毎日楽しく仕事や日々の生活を過ごす人であふれる社会をつくるために、この日本クレーム対応協会での仕事を通じて、これからも邁進していきたいと考えています。
谷 厚志